ハッピーセット騒動から思い出す、昭和の“チケットおじさん”

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最近、マクドナルドのハッピーセットが一部の転売ヤーによって大量に買い占められ、話題になりました。

限定グッズやカードを目当てにしたこの行為は、多くの人に迷惑をかけ、SNSでも批判が相次ぎました。

確かに、欲しい人の手に届かなくなる状況や、食品が廃棄されてしまう現実は、見ていて気持ちの良いものではありません。

しかし、時代を少し遡ってみると、同じ「転売」と呼ばれる行為でも、人を助ける場面があったのです。

それは昭和の球場前。

チケットを手にした“おじさん”たちが、困っている観客に救いの手を差し伸べる――そんな光景も存在していました。

今回は、私が小学生だった頃に体験した、昭和60年の福岡・平和台球場での出来事を通して、「迷惑」と「助けられた思い出」の両面を見つめてみたいと思います。

父と兄とで野球を観戦したイメージを読者に持ってもらう為の画像

昭和の球場観戦、家族で出かけたあの日

昭和60年頃。

私は小学生で、少年野球に夢中でした。

兄は県選抜にも選ばれるほどの選手で、父はそんな私たちを応援してくれる、野球好きの頼もしい存在でした。

ある日、父は兄と私を連れて、阪神タイガース vs 中日ドラゴンズ戦を観に、福岡の平和台球場へ連れて行ってくれました。

裕福な家庭ではありませんでしたが、その分、旅行気分も相まってテンションは最高潮。

今でも、あの日の高揚感は鮮明に覚えています。

球場入り口での大スターとの出会い

球場入りする選手を間近で見るチャンスにも恵まれました。

選手たちの足音やグラウンドシューズがコンクリートを打つ音まで聞こえ、独特の緊張感と高揚感が漂っていました。

そこで目にしたのは、阪神の助っ人外国人選手、ダンディ・バース。

その大きな体は、まるで別世界の生き物のように迫力があり、肩幅の広さや手の大きさにまで目を奪われました。

力強く笑顔で会釈をする姿に、子どもながら驚愕し、「あんなに大きい人がいるんだ!」という衝撃が体中を走りました。

兄は目を丸くして「すげー!」を何度も繰り返し、私も無言のまま首を縦に振るばかり。

その瞬間の空気、匂い、そして胸の鼓動までもが、今も耳と記憶に鮮やかに残っています。

チケット忘れという最大の危機

試合開始が近づき、いざ入場しようとしたその時です。

父がポケットを探りながら「あれ?」と声を上げました。

私と兄はきょとんとし、次の瞬間、父の顔が曇りました。

――チケットを忘れていたのです。

遠く田舎からの遠征で、旅費も時間もかけてやってきたのに、このままでは入場できない。

周囲の観客が楽しそうに列を進む様子を横目に、胸の中に重い石が落ちるような感覚が広がりました。

「せっかく来たのに…」という思いが込み上げ、喉の奥が熱くなります。

子どもながらに胸の高鳴りが急速にしぼんでいき、さっきまでの興奮と笑顔が一瞬で消えていったのをはっきりと覚えています。

球場前に現れた“チケットおじさん”

そんな時、突然現れたのが“チケットを手にしたおじさん”でした。

小柄ながらも日焼けした顔と、少し色あせた帽子が印象的で、手には数枚の紙チケットが握られていました。

父と何やらヒソヒソ話を交わし、時折うなずきながら、真剣な表情でやり取りを続けています。

私と兄は事情が分からず、ただ固唾を飲んで見守るばかりでした。

数分後、「入れるぞ!」と満面の笑みを浮かべてこちらに歩み寄る父。

その顔には安堵と嬉しさが混ざり、私たちの胸にも再び希望が灯りました。

おそらく金額交渉をしていたのでしょう。

今となっては容認できない行為かもしれませんが、その瞬間、あのおじさんは私たち家族にとって、まるでヒーローのように輝いて見えました。

今だから思う、文化としてのダフ屋

昭和の球場前には、こうした現地でのチケットのやり取りが当たり前に存在しました。

行列の合間で紙チケットがやり取りされる光景や、売る側・買う側が値段を巡って小声でやり取りする様子は、今ではすっかり見られなくなりました。

平成後期にはネット取引が広まり、家に居ながらにして全国の人とやり取りできるようになり、現地の空気を味わうことなくチケットを確保できる時代が訪れました。

そして令和では、スマホ完結が主流となり、数タップで取引が成立し、紙チケットすら存在しないケースも増えています。

形は変わっても、「どうしても手に入れたい」という気持ち、その瞬間を体験したいという熱意は変わらないのかもしれません。

思い出として残る一日

そのおかげで私たちは無事に球場へ入り、白熱の試合を楽しむことができました。

スタンドの熱気や、応援団の太鼓の音、売り子さんの声までが混ざり合い、子どもだった私にとって夢のような空間が広がっていました。

試合の内容も鮮明に覚えており、ヒットや好守のたびに立ち上がって喜んだあの瞬間は、まるで時間が止まったように感じられました。

40年近く経った今でも、その日の出来事を思い出すと胸が温かくなります。

酒を酌み交わしながら父や兄と笑って語り合える、大切な家族の思い出であり、我が家の歴史の中で欠かせない宝物のひとつになっています。

まとめ

今では批判の的となる転売行為も、時代や状況によっては人を助ける一面があったのも事実です。

昭和の球場前で出会った“チケットおじさん”は、私たち家族にとって忘れられない存在であり、その日の出来事は今も鮮やかに心に残っています。

最後まで読んで頂き、有難うございました。

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