シングルファーザーになって早4年|子供達と駆け抜けた時間と現実

奮闘記

離婚当時、生活が激変することはある程度覚悟していました。

ただ、一番不安だったのは、自分の孤独でも、失われる自由でもありませんでした。

子供達への影響でした。

特に長女のことが頭を離れませんでした。

ちょうど精神的に揺れやすい年頃です。

「男親の自分に、年頃の女の子の気持ちなんて、本当に分かるのだろうか」

今まで感じたことのない種類の不安でした。

一方、長男については、同性ということもあり、年齢的にも性格的にも、なんとなく想像できる部分がありました。

でも娘に対しては、正直まったく自信がありませんでした。

離婚した当時、私は仕事人間でした。

単身赴任も経験し、家のことは元妻に頼り切っていた部分が多かったと思います。

だからこそ、親権を取るということは、単に子供と暮らすという意味ではありませんでした。

「生活そのものを変える覚悟」が必要でした。

50代シングルファーザーとして子供達と駆け抜けたこの4年間の現実を、できるだけ飾らずに書いてみようと思います。

シングルファーザーとして最初に感じた不安

離婚後、周囲からは「大丈夫か?」「寂しくないか?」と心配されることがありました。

ですが実際には、孤独を感じている暇なんてありませんでした。

常に頭の中にあったのは、「子供達への影響」でした。

特に避けたかったのは、長男に「自分が父親を選んだから家族が壊れた」と思わせてしまうことです。

離婚調停当時、長男は15歳、長女は12歳でした。

当然、私も元妻も親権を主張しました。

私は本気で親権を取りに行くと決め、調停員へ自分の思いを正直に伝えました。

子供達の将来像やライフプランを書き出し、「自分ならこういう未来を目指して努力したい」という内容を文章にまとめて提出しました。

同時に、会社の上司にも話しました。

離婚すること。

親権を本気で取りに行くこと。

これからの働き方が大きく変わること。

出張や飲み会には、もう以前のようには参加できないかもしれない。

評価や出世に影響するかもしれない。

それでも、子供達との生活を優先したい。

そういう思いを、できる限り正直に伝えました。

今思えば、かなり必死だったと思います。

長男の言葉が、自分の覚悟を決めた

親権については、一般的に母親側が有利と言われています。

実際、私自身もかなり厳しいだろうと思っていました。

仕事中心の生活でしたし、子供と過ごした時間の長さだけで見れば、元妻の方が圧倒的だったからです。

ですが、長男の意見聴取が行われた際、長男は「絶対に父ちゃんと一緒にいたい」と話してくれていたようでした。

後日、その報告内容を見せてもらった時のことは、今でも忘れられません。

正直、なぜ自分だったのか分かりませんでした。

一緒に過ごした時間も多くない。

怒ることも多かった。

たまに野球を見に行く程度の、仕事ばかりしていた父親です。

それでも息子は、自分を選んでくれました。

胸が熱くなると同時に、「もう後戻りはできない」と覚悟が決まった瞬間でした。

本当に大変だったのは、長女の不登校でした

本当の意味で苦しかったのは、その後でした。

長女は中学校へ入学して間もなく、学校へ行けなくなりました。

理由は今でもはっきりとは分かりません。

学校生活に大きな問題があったわけでもなく、先生方も本当に親身に対応してくれました。

友達が家まで迎えに来てくれることもありましたし、先生も自宅へ何度も足を運んでくれました。

それでも、長女は学校へ行けませんでした。

私は出社時間を遅らせ、送り迎えをしたり、一緒に話す時間を作ったり、ホットケーキを焼いたりしながら、なんとか気持ちを理解しようとしていました。

ですが、中学3年間の登校日数は、合計しても1ヶ月ほどだったと思います。

当時は「これで本当に良いのだろうか」と何度も自問しました。

娘の人生を歪めてしまったのではないかという申し訳なさが、ずっと胸の奥にありました。

無理にでも学校へ連れて行くべきなのか。

このままでは、娘の将来はどうなるのか。

不安しかありませんでした。

それでも、必死に登校しようとするけど、どうしても体が動かない娘の姿を見ていて、最終的には「娘の気持ちを優先しよう」と決めました。

正直に言えば、待つことしかできなかったのかもしれません。

それでも、自分の考えを押し付けるより、本人が前を向けるタイミングを静かに待つことが、今の自分にできる精一杯だと思ったのです。

高校進学で、娘が自分から変わり始めた

中学3年生になり、高校進学の話が現実味を帯びてきた頃、長女が突然「高校からは頑張る」と言い出しました。

正直、驚きました。

私は通信制の学校でも、無理をせず通えればそれで十分だと思っていました。

ところが長女は、自分から進学コースを希望し、「大学へ行きたい」とまで言い始めたのです。

中学校へほとんど通えなかった状態から考えると、喜ぶより先に不安の方が大きかったと思います。

それでも何度も話し合い、最終的には本人の気持ちを尊重しました。

現在、長女は高校3年生になりました。

この2年間で学校を休んだのは、体調を崩した一度だけです。

公文や進学塾にも通いながら、自分なりに努力を続けています。

ボランティア活動をしたり、放課後に学校へ残って勉強したりする姿を見るたびに、「人は変わる力を持っているんだな」としみじみ感じます。

大学受験の結果は、まだ分かりません。

でも中学時代の娘を知っている自分からすれば、今こうして前を向いている姿だけで、もう十分すごいと思っています。

離婚後の4年間は、正直あまり覚えていません

離婚後の生活は、とにかく時間との戦いでした。

毎朝4時に起きて、弁当と朝食を作る。

洗い物とゴミ出しを済ませ、自分の準備をして会社へ向かう。

片道1時間半かけて通勤し、帰宅は19時頃。

そこから晩ご飯を作り、洗濯をして、風呂掃除をして、翌日の準備をする。

気づけば夜22時を過ぎています。

そこからようやく、自分の時間が始まります。

最近は24時には寝るようにしていますが、それでも睡眠時間は4時間ほどです。

この4年間、何をしていたのかよく覚えていません。

ただ「倒れないように毎日を回すこと」に必死だった、そんな感じがします。

元妻の存在の大きさに、離婚後初めて気づいた

離婚して初めて気づいたこともたくさんありました。

中でも大きかったのが、元妻の存在です。

仕事ばかりしていた頃は、家事も子育ても、どこか当たり前のように受け取っていた部分がありました。

でも自分が実際に生活を回す側になってみると、その大変さが身に染みて分かりました。

母親の役割というものは、本当に大きいです。

自分はそのほんの一部しかできていないと思います。

だからこそ、元妻に対して感謝する気持ちが、今では素直に持てるようになりました。

離婚に後悔はありません。

でも、離婚したからこそ見えた景色があったのも確かです。

仕事というものに逃げていた自分。

家のことを当たり前のように任せていた自分。

そういう部分にも、離婚後の生活で少しずつ気づかされました。

出世を諦めても、人生までは諦めたくなかった

会社での出世は、もう望んでいません。

親権を取った時点で、働き方は以前とは大きく変わりました。

でも、人生そのものを諦めたわけではありません。

長女の学費もまだ必要ですし、自分自身にもやりたいことがあります。

その一つが、このブログでした。

会社員として安定収入がある今のうちに、別の収益の柱を作りたい。

体力や根性だけに頼らない働き方を作りたい。

そんな思いで書き続けています。

子育てがひと段落したら、バイクを買ってツーリングへ行きたいという夢もあります。

50歳になった今、人生のゴールが少しずつ見えてきたからこそ、「自分らしく生きること」を以前より真剣に考えるようになりました。

まとめ|正解だったかは、今でも分かりません

離婚して良かったのか。

親権を取って正解だったのか。

娘への対応は間違っていなかったのか。

今でも正直、分からない部分はあります。

ただ、子供達がそれぞれ自分なりに前を向いて歩いている姿を見ると、「あの時、必死で向き合って良かった」と思える瞬間があります。

余裕のある生活ではありません。

今でも時間は足りませんし、疲れる日もたくさんあります。

それでも、子供達と過ごしたこの4年間は、かけがえのない時間でした。

これから先も、完璧な父親にはなれないと思います。

それでも、子供達と向き合いながら、自分自身の人生も少しずつ前へ進めていけたら。

最近は、そんなふうに思えるようになりました。

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