シングルファーザーになって一番つらかったのは、相談相手がいなかったことでした

奮闘記

シングルファーザーになってから、一番つらかったことは何だったのか。

今でも時々考えることがあります。

家事でしょうか。

お金でしょうか。

それとも仕事との両立でしょうか。

今振り返ると、私にとって一番つらかったのは、相談相手がいなかったことでした。

離婚そのものに大きな迷いはありませんでした。

しかし、その後の生活については、分からないことだらけだったのです。

単身赴任中、長男の変化がきっかけで自宅へ戻ることにしました

離婚よりも前の話になりますが、私は当時、単身赴任をしていました。

自宅へ帰れるのは、年に3回か4回ほど。

そんな中で、長男が情緒的に不安定になる時期がありました。

暴れたり、物を壊したりすることはありませんでした。

ただ、明らかに自分自身を追い詰めているように見えました。

いろいろなことに悩み、苦しんでいたのだと思います。

頼りにしたかった父親は単身赴任で、普段は家にいません。

母親にも心を閉ざし、何も話さなくなっていました。

今振り返ると、長男にとってストレスの逃げ場がなくなっていたのかもしれません。

その姿を見て、このままではいけないと思いました。

そこで会社へお願いし、単身赴任を解除してもらうことになりました。

自宅から通える職場へ異動にはなったものの、それでも片道90分の通勤時間がかかる生活になりました。

それでも、子どもたちの近くにいることを優先しました。

自宅へ戻ってから、夫婦関係の違和感が大きくなっていきました

単身赴任を解除し、自宅から職場へ通う生活が始まりました。

子どもたちの近くにいられる安心感はありました。

一方で、元妻との同居生活が再開したことで、夫婦関係の違和感も少しずつ大きくなっていきました。

家庭の雰囲気。

会話の噛み合わなさ。

日々の小さな言動。

一つひとつは大きな出来事ではなかったのかもしれません。

しかし、それらが積み重なるうちに、このまま夫婦として将来を描くことが難しくなっていきました。

年齢も40代後半に差しかかり、会社員人生の終わりも少しずつ意識するようになります。

このまま何年も違和感を抱え続け、将来さらに疲弊していくのではないか。

そんな不安もありました。

だからこそ、離婚そのものについては、私の中で大きな迷いはありませんでした。

問題は、離婚するかどうかではなかったのです。

離婚後の生活は、分からないことだらけでした

離婚を決めてから、頭に浮かぶのは不安ばかりでした。

親権はどうなるのか。

子どもたちへ何と説明すればいいのか。

父親一人で、本当に育てていけるのか。

学費や生活費は足りるのか。

仕事は今までどおり続けられるのか。

自分が倒れたら、この生活はどうなってしまうのか。

考え始めると、次から次へと不安が湧いてきました。

当時15歳だった長男には、家庭裁判所で意見聴取が行われました。

結果として、息子が私を選んでくれたことが親権取得の決め手になりました。

もちろん嬉しい気持ちはありました。

しかしその一方で、「息子にこんな重い決断をさせてしまった」という申し訳なさもありました。

子どもたちの気持ちを考えると、これが正解なのか。

自分の選択で本当に良かったのか。

何度も自問自答しました。

一番苦しかったのは、誰にも相談できなかったこと

私は地元を離れ、元妻の地元で生活していました。

身近に頼れる親族はいません。

もともと友人が多いタイプでもありませんでした。

周囲に離婚経験者もいませんでした。

離婚問題は会社でも話しづらく、上司や同僚へ気軽に相談できる内容でもありません。

結果として、私は全てを一人で抱え込むことになりました。

日中は仕事や手続きなどで慌ただしく過ぎていきます。

しかし、夜になると、一気に不安が押し寄せてきました。

子どもたちのこと。

お金のこと。

仕事のこと。

将来のこと。

考えても答えは出ないと分かっているのに、頭の中では何度も同じことを繰り返していました。

今思えば、私は答えが欲しかったわけではなかったのかもしれません。

「それは大変ですね。」

「不安になりますよね。」

そんなふうに話を聞いてくれる相手がいるだけでも、少し違っていたように思います。

父親として「自分がやるしかない」という現実がありました

親権を取得してからは、「自分がやるしかない」という場面の連続でした。

子どもたちの朝食や弁当作り。

仕事との両立。

学校行事への参加。

娘の悩みへの対応。

自分の健康管理。

どれも誰かが代わってくれるわけではありません。

子どもたちの朝食や弁当の準備を考えると、毎朝4時起きの生活になります。

朝食を作り、弁当を作り、自分の支度をして出勤する。

17時に仕事を終えると、残業はほとんど諦めて帰宅します。

買い物を済ませて家に帰る頃には19時を過ぎています。

それから晩ご飯を作り、洗い物をして、お風呂に入り、お風呂掃除をする。

ようやく自分の時間ができるのは22時頃でした。

毎日がとにかく必死でした。

正直なところ、弱音を吐いている暇もありませんでした。

明日の朝も4時に起きなければならない。

子どもたちは学校へ行かなければならない。

自分も仕事へ行かなければならない。

どれだけ悩んでいても、生活は待ってくれません。

私は管理職という立場でもあります。

出張や残業を制限せざるを得なくなり、自分の評価や昇進への影響が気にならなかったと言えば嘘になります。

家のローン、車のローン、子どもたちの学費。

お金に対する不安も常にありました。

さらに、娘が中学生になってからは不登校になり、一時期は気持ちが沈み、自傷行為に及ぶこともありました。

何が正解なのか分からない。

どう声を掛ければいいのか分からない。

父親としての無力さを感じることも少なくありませんでした。

自分自身も高血圧、脂質異常、糖尿病、尿酸値の異常といった持病を抱えています。

食事や健康に気を遣わなければいけないことは分かっていても、時間にも心にも余裕がありませんでした。

それでも、結局は自分がやるしかありません。

気合と根性で何とかここまでやってきたというのが、正直なところです。

ただ、判断の重圧まで一人で抱えるのは苦しかった

自分がやるしかないからこそ、判断も全て自分に委ねられます。

子どもたちへどう接するのか。

どのような教育方針でいくのか。

娘の不登校にどう向き合うのか。

お金をどう使うのか。

自分の健康と仕事をどう両立するのか。

正解なんてありません。

それでも、決めなければ前に進めない。

そして、その判断の結果は、自分だけではなく子どもたちの生活にも影響します。

だからこそ、責任は想像以上に重く感じました。

「これで良かったのだろうか。」

「別の選択肢もあったのではないか。」

そんなことを、夜になると何度も考えていました。

もちろん答えは出ません。

正しいかどうかも分かりません。

それでも、自分が決めるしかない。

その繰り返しでした。

私に必要だったのは「正しい答え」ではなく「気持ちの抜きどころ」だった

今振り返っても、私は誰かに答えを教えてほしかったわけではありません。

最終的に決めるのは自分です。

そして、今でも「自分がやるしかない」という思いは変わっていません。

ただ、子どもたちも少しずつ成長し、私自身もシングルファーザーとしての生活に慣れてきました。

以前ほど先が見えない状態ではなくなり、将来を少し見通せるようになった今だからこそ思うことがあります。

当時の私は、あまりにも気持ちが張り詰めていました。

子どものこと。

仕事のこと。

お金のこと。

自分の健康のこと。

考えることが多すぎて、心に余裕がありませんでした。

だからこそ、あの頃に人生経験が豊富な人や、悩みを整理する手助けをしてくれる相手がいたら、もう少し気持ちは楽だったのではないかと思います。

「それは大変ですね。」

「そう考えてしまうのも無理はありません。」

「こういう見方もありますよ。」

そんなふうに話を聞いてもらうだけでも、自分の考えを整理するきっかけになったと思います。

私に必要だったのは、問題を解決してくれる人ではありませんでした。

パンパンに張り詰めた気持ちを少し緩め、将来への不安を整理するための『気持ちの抜きどころ』だったのかもしれません。

今も、自分がやるしかないという思いは変わっていません。

それでも、少し余裕ができた今だからこそ思うことがあります。

当時の私に、悩みを言葉にできる場所や、話を聞いてくれる相手がいたなら、もう少し肩の力を抜いて子どもたちと向き合えたのかもしれません。

今もし同じように責任の重さに押しつぶされそうになっている方がいるなら、一人で抱え込みすぎないでください。

自分の気持ちを誰かに話してみる。

それだけでも、少しだけ前を向けることがあるのかもしれません。

それでも、子どもたちと一緒に前へ進んできたことだけは、子どもたちに余計な心配をかけてしまった私なりの答えだったのかもしれません。

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